紫陽花が一段と色鮮に咲き誇る季節になりました。
皆様いかがお過ごしでしょうか?
梅雨入りした地域もあり、植物達に優しいしとしと
雨ならまだしも、度を超えて災害をもたらすような雨
が増えてきたのは困りものです。
さて、5月の例会は
こころカフェ 男性2名 女性4名
サロンdeいっぽ 男性2名 女性1名
の方々が参加してくださいました。
皆様ありがとうございました。
そして今回も、いつもカフェに来てくださる
しずくさんが原稿を寄せてくださいましたので紹介します。
《ココロカフェ五月の感想》
五月の晴天に風に吹かれていると、ただそれだけで幸せになれます。そのせいか、今回はのんびりしすぎて遅刻しそうになってしまいました。
逆に言えば、リラックスできるようになったということですが、やはり自分が話をする時になると、わかりやすく話せていないかもと焦ってしまいます。
私は絵を描くことや、文を書くことが好きで、子供の頃がら、暇さえあればそのどちらかをしていました。
集中すると疲れませんし、お腹もすかず、眠くもならない。
自分がどこの誰なのか忘れてしまうくらいです。だから、そういう仕事につけばよかったのに、周りの大人にそれでは食べていけない』と言われ、人並みの人生を送ろうとして挫折し、二十年をムダにしてしまいました。
私は最近になってASDであり、HSPだとわかったので、仕方がないのですが、自分の特性より周りのいうことを優先してしまったために、大きなツケを払うことになりました。
食べていけないとアドバイスしてくれた人は、もちろん責任を取ってはくれません。そういう話をしました。
ココロカフェは内に秘めていることを放出するための場であって、うまく話す必要はないということをつい忘れてしまいます。
人並みにこなさなくてはならないという思いは、これまでの経験から呪いのように刻まれて、自己否定の種になります。
だからこそ、ただ聞いてもらう受容の経験を増やすことが大切です 。
日本ではよく、『迷惑をかけるな』と教えます。
いい教えのようですが、海外では『迷惑は許しなさい』と教えるらしいです。私はそちらのほうが理にかなっていると思います。
迷惑をかけないように努力させることは、できなければ全否定され、悪人扱いされたり、失敗しても何とかなると学習する機会を奪ったり、何よりも、そのために人生を棒にふることもあるという深刻な弊害があるからです。
迷惑をかけてはいけないというのは、みんな我慢しているんだから、一人だけ勝手なことをしてはならないという古い全体主義の名残りで、消えつつあります。
今回、参加していた人の中に、脳の働きが一般の人と違うということは、不便なこともあるけれど、別視点をもたらすこともできるという趣旨の発言がありました。
忘れがちですが、少数派は多数派の死角をカバーすることもできるのです。
それに、自分の力ではどうすることもできない心細さや、みじめさを徹底的に味わうと、人をむやみに責めなくなり、日々生きられるだけで幸せだと思うようになります。
この境地が、好きなことをして生きてはいけないと思いこんでいる人を変えられれば、こんなに平和的な復讐はないかもしれません。
文章を書くのは好きですが、うまく伝えられる技術とはまた別でとりとめのないものになってしまったかもしれません。
でも、ココロカフェと同じに、完璧に書くことは早々にあきらめて、心にこれまで溜まっていたことを開放させていただきました。
ここまで読んでいただいた方、ありがとうございました。