蒸し蒸しと身体に堪える暑さが続いていますが、皆様お変わりありませんか?
6月の例会は、こころカフェとサロンdeいっぽの合同開催で、男性5名、女性6名の方々にお集まりいただきました。
初めて顔を合わせた人達もいて話題も広がり、いつもとは違う雰囲気を感じていただけたようです。
次回は2部屋用意しましたので、大勢が苦手の方もどうぞ安心してご参加ください。皆様のお越しをお待ちしています。
今回もカフェのメンバーさん、しずくさんが原稿を寄せてくださいました。
お読みになって感想などありましたら、ゆいまーる宛てお願いします。
《ココロカフェ六月の感想》
私はひっこみ思案の面倒くさがりなので、毎回、ココロカフェ参加のために外出することに、ちょっとだけ尻込みしてしまいます。
それでも、話したくないときは聞き役に徹することができますし、いざ参加してしまえば来てよかったと思うので、ネガティブな心はそのままに、淡々と行動することにしています。
参加者のみなさんは、生きるのがしんどいからこそ、思慮深く思いやりがあり、謙虚です。
ちょっとした自虐ネタでくすっと笑わせてくれる人もいます。卑下しているのではなく、笑いの価値を知っているのです。
みなさんと話していると、マイノリティであることは、紳士淑女になる資格を与えられていることではないかと感じます。
他人の痛みに対する想像力を持たないことは、野蛮なことだと思っていますから。
今回は、つらいことをわかってもらいたいのに、どうすればいいのかわからない、というようなジレンマの話題がでました。
その時にまとめられなかったことを、経験をまじえて、ちょっとこの場をお借りして書いてみたいと思います。
※あくまで私の場合です。
孤独に特効薬はありません。
そして、それが幸か不幸かも、一概には言えません。
ずっと意にそわない協調を強いられていると、『自分は本当はどうしたいのか』という問いかけを忘れてしまいます。
あなたはこうみたいだけど、私は違うんだ、さて、どう折り合りをつけようか、という健全なやりとりができなくなってしまうのです。ましてや、ハンディキャップがあれば、なおさらです。
だけど、必死で周囲に合わせても、感謝も尊敬もされない。それどころか要求は図々しくなっていく。
怒りは抑圧され、ツケは相手ではなく、自分の健康で払わされる。
それでも、誰かに必要とされることで、ボロボロになった自己評価を癒やしたい。そのためなら、無理もいとわない。
そんなことをしなくても、ハードルを低くすればいいだけなんですけどね。自分で勝手に高くしすぎただけですから。
まさに、魚が水を探すようなという表現がぴったり(エックハルト・トールという人の本で読んで感心した比喩です)です。
どうして、人にはそこまで気をつかうのに、自分にはまったく無頓着なの?
誰かと比べてダメ出ししたり、身体を粗末に扱ったり、他人にされたら絶対に許せないことなのに、自分が自分にするのはいいの?
生まれたときから死ぬ瞬間まで、あるいは存在するかもしれないその先まで、いつも一緒なのは自分じゃない?
優先順位、間違ってない?
シンプルすぎて、だからこそどん底まで落ちきらないと、この質問は腑に落ちないようになっているみたいです。
問題は、どうすれば人にわかってもらえるかではなく、どうやって崩壊している自分との信頼関係を回復させるか。
そして、私は自分自身に、ずいぶんデリカシーのない仕打ちをしてきてしまった
と愕然とさせられました。
私はずっと、自分をちやほやしてくれて、癒やしてくれる理想の相手がきっとどこかにいると、日々、若さを失いつつあることに焦りながらも、より好みだけは
しっかりして、いつまで待てばいいんだと激怒していました。
パートナーはお互いに与え、補うもので、魔法のランプの精ではありません。
それがわからないうちに出会っても、おそらくあっという間に破局したでしょう。
実際にそういう人もいますから、その時は運命を呪いましたが、私はラッキーだったのです。
結局、何が言いたいかというと、生きることは『まずはひとりで二人三脚』していくことに他ならず、そう考えると、なかなか楽しい経験だと思えてきたということです。
少なくとも、私が男性なら、目を血走らせて理想の人に餓えている女性より、自分と二人三脚して喜んでいる変人のほうを選びます(笑)。
あと、忘れられがちなのですが、人類には、本や映画、アート、音楽、あらゆる娯楽があります。
断言しますが、それらはすべて、避けられない本質的な孤独を忘れさせてくれるためにあるのです。
人間と違って、彼らにはどんなに依存しても迷惑はかかりません。むしろ、無限に慰めてくれますから、思う存分甘えればいいのです。
これを読んで下さった方、ここまでおつきあい頂いて本当にありがとうございます。
ハンディキャップというより、ギフトと呼べる人生を。ちょっとずつでもその重心移動のお手伝いができれば幸いです。